元正(げんしょう)天皇
 
680(天武9)-748(天平20)715年に即位724年に甥の聖武に譲位、治世7年。
「続日本書紀」巻九に第四十四代元正天皇が養老6年(722)7月19日に発せられた勧農の詔があります。

今夏無雨 苗稼不登 宣令天下国司勧課百姓、種樹晩禾蕎麦及大小麦、
蔵置儲積以備年荒


「今年の夏は雨がなく、田からとれるもの(イネ)がみのらず、よろしく天下の国司をして、おおみたから(百姓)を勧課し、晩禾、蕎麦及び小麦を植えしめ、たくわえおき、以て救荒に備えしむべし」。元正天皇は救荒作物として蕎麦の栽培を奨励されました。なにかの御縁かもしれません。元正天皇陵は奈良市内にあると聞きました。御所からそんなに遠くない。さっそく行くことにしました。

上記詔のなかに百姓とあります。司馬遼太郎さんの本にありました。中国は漢字の国、この表意文字にはちゃんと人民という意味がある。中国人の姓は通常一字であらわされ、百も姓があれば人民すべてが網羅される。

701年大宝律令が制定施行されると日本の国は8省を中心とした中央官制が整い、日本の律令制度が完成する。律は刑法、令はそれ以外の行政上必要な諸法規の集成の意。全国の人民は戸に編成され5戸は保(ホ)を結んで治安、納税上の連帯責任を負った。8世紀の戸籍によれば、1戸の平均は25人前後で構成。戸籍は6年に一度つくられ、班田の台帳となった。班田収授が実施された後、今でも我々が使う公租公課の租についての徴税、つまり区分田からの収穫は1段につき稲2束2把(収穫の3%)であった。706年より1束5把に変更になる。

元正天皇の時代
717年遣唐使派遣。718年藤原不比等らによる養老律令編纂完了。720年「日本書記」完成。同年藤原不比等没。
長屋王政権の成立。大隈隼人の反乱。721年元明上皇没。723年良田100万町歩開墾計画と三世一身法制定。

「続日本紀」元明天皇譲位の詔に「生まれながらに心が広く、しとやかで美しく、朝廷の人々こぞって、推戴し、その徳をたたえる」旨があります。注)元明天皇陵は元正天皇奈保山西陵の近くにあります。


万葉集にある元正天皇のおうみうた五首

  幡(はた)すすき尾花逆(さか)き黒木もち造れる屋戸は万代までに
  玉敷かず君が悔いていふ堀江には玉敷き満てて継ぎてかよはむ
  橘のとをの橋やつ代にも吾(あれ)は忘れじこの橋
  あしひきの山行きしかば山人(やまびと)の我に得しめし山つとそこれ
  ほととぎすなほも鳴かなむ本つ人かけつつもとな吾(あ)を音し泣くも

奈保山(なほやまの)西(にし)陵

ソバの豊作を祈願する。