鳥居の横にあるのはお百度石です。      神社石段右横の道が葛城古道です。

一言主(ひとことぬし)神社
地元の人たちは親しみを込めて「いちごんさん」と呼んでいます。いいことを教えていただきました。「いちごんさんはなにかひとつだけ願いごとを叶えてくれる」同神社の祭神は一言主神(ひとことぬしのかみ)。「延喜式」では大和国葛上(かつらぎのかみ)郡の名神(みょうじん)大社と書かれています。
記紀にはともに結う略略天皇の条に葛城山の神、凶事も吉事も一言で解決する霊力をもつ神として記されいます。謡曲「葛城」の題材にもなりました。


 
柿本神社境内の片隅に、芭蕉句碑があります。
 
猶(なお)みたし花にあけゆく神の顔 
  

一言主神社から北へ約6キロ、「新庄」駅西側すぐ、線路に面したところに柿本神社があります。祭神は柿本人麻呂。古来歌聖と仰がれ、多くの名歌を残しています。社殿の左奥に人麻呂の墓があり、「柿本大夫人麻呂之墓」と刻まれています。

柿本人麿像(奈良県新庄町柿本村蔵)

日本の詩人と言えば、誰しも二人の名前を逸することが出来ないであろう。柿本人麿と松尾芭蕉である。水底(みなそこ)の歌 -柿本人麿論- 上巻 梅原 猛 著の冒頭にあります。

俳句からの幻想  ー福原 治
この一言主神社の境内にある芭蕉の句碑に、猶みたし花にあけゆく神の顔が刻まれています。この句を見たときに「神の顔」の神をどう捉えるかに興味がわきました。芭蕉がこの「神」に対して、去りがたい、いつまでも見ていたいという心情をもっていることは、句からみても明らかです。私は「神の顔」を柿本人麿像であると想像しました。桜の花の隙間からこぼれる、春のうららかな日の光に照らしだされている人麿像の顔が、「お前さんも逆境に負けず、歌の道に励んでください。必ずや私のように、後世の人々から、歌の聖と敬われるようになるでしょう」という、励ましの言葉と感じたのではないでしょうか。芭蕉は伊賀上野の出身ですから、当然当地葛城の存在を知っていました。或う日、この地を訪れ、柿本神社を訪れ、そこには柿本人麻呂像のお墓があり、人麻呂像との出会いがあった訳です。そこで芭蕉はますます俳句の道を極めるべく、心に決意した。それが、有名な「奥の細道」への旅立ちを決意させたのではないかとと想像したわけです。