名阪道路柏原ICをおり、道なりに山を越せば大和路がはじまります。
風景が一変します。右手に二上山、葛城山、金剛山が連なります。
ソバ畑は当麻タイマ寺から約10分程南に来た奈良県御所市増(マシ)にあります。

さてそば畑のはじまりです。以降、そば畑のそばはカタカナ表記。
ソバはそれ自体大変吸肥力の強い作物です。他の作物が吸収することが出来ない肥料分でも、自分の力で溶かして吸収し栄養分にします。やせ地でも生育するとはそういう意味です。たたソバは倒伏しやすいので、肥料をやりすぎると茎だけが徒長して倒れてしまいます。やはり工夫がいるみたいです。肥料の窒素、リン酸、カリですが、とくにソバの増収のためには窒素肥料よりも、リン酸分とカリ分の施肥が重要視されます。茎を丈夫に育て、倒伏を防ぐ、またリン酸分の増肥は花密の分泌をよくし、昆虫の訪花を助けるとも言われます。
バランスされた施肥は結果としてそばの味もよいということです。タネ播きにあたっての施肥は畑にどのくらい栄養分が残っているかで量を決める必要があります。以前当社は岡山県の井原市農協さんと20年あまりにわたって契約栽培をしたことがあります。当社から種を送って、多いときで年間800袋/45KGをつくってもらっていました。同地はタバコの後作としてソバの栽培をしていました。農家からするとこの輪作体系は地力を保ついい組み合わせでもありました。ただ、同地では特別にソバの為に施肥はしないということでした。(ソバは多肥反応に対する適応性の少ない作物である。肥料を多くやったとして収量が飛躍的にふえることはない。)それでも1反あたり80〜90Kgを収穫していました。



旧309号線祈りの滝にある役行者生誕1300年碑
大峰山奥駈けをする修験者の掛け念仏
サーンゲサンゲ ローコンショウジョウ
懺悔懺悔、六根清浄

修験者の祖、役小角(えんのおづぬ)通称、役行者(えんのぎょうじゃ)は葛城、吉野、大峰の山を開き全国各地の山々に足跡を残しました。ちょうど今年が、没後1300年の大遠忌の年にあたります。吉野山の金峯山寺、京都の聖護院、醍醐寺の修験三山では役行者の遺徳を賛仰して法要がとりおこなわれます。そんな役行者はこの地、御所の茅原で生をうけたといわれます

葛城の名称について
御所市西部の金剛山東麓は紀ノ川筋からの通路として古くから開け、古代大和fの豪族葛城氏の本拠地でした。仁徳天皇の皇后常磐之媛(いわのひめ)の出身地です。さて葛城の名称についてですが、『日本書紀』「神武紀」によれば、地名は葛(くず)の網で土蜘蛛を掩殺(えんさつ)したことに由来します。金剛、葛城山中はいまもクズが生え、葛根(かっこん)の採集地です。また「葛城」の「城」は唐風の美称的意味をもつ用字とあります。