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懐石とは修行僧が温かい石を懐に忍ばせ空腹に耐えたが原意。茶席で出される料理を会席料理と呼び、簡素な季節の材料を使って亭主自らが料理したのが本来の姿。庭の花一輪を切って床を飾り、裏庭の蕨を採って一菜をつくる。すべて亭主の手によるのがもてなしの基本である。四季折々の魚菜を取合せ器に香り豊かに配した懐石の趣向は客をもてなす人のもっとも苦心するところとなる。旬の素材を使い、料理、器に趣向をこらして客人をもてなす。ということになります。

数寄屋という漢字は元来趣味の家(好家すきや)を意味する。その後様々な茶人が、茶室に対する考えに従って様々に漢字を置き換え、「すきや」という語は「空家」または「数寄家」の意味にもとることができる。それが詩情を宿すために造られたつかの間の建造物である限り、「好家」なのである。それが「不完全」の崇拝に捧げられ、わざわざ何者かを未完成のままに残しておいて、想像力にその完成をまかせる限り、それは「数寄家」なのである。-茶室- 岡倉天心 桜庭信之訳

大酒にて後れを取りたる人数多なり。別して残念の事なり。先ず我が丈け分を能く覚え、その上は飲まぬ様にありたきなり。その内にも、時により、酔ひ過す事あり。酒座にては就中気をぬかさず、図らぬ事出来ても間に合う様に了簡あるべき事なり。又酒宴は公界(注:公の場)ものなり。心得べき事なり。
 葉隠 聞書第一

訳:大酒のために不覚をとった人は数多い。とりわけて惜しいことである。まず自分の酒量をよく心得ておき、それ以上は飲まぬようにしたいものである。そのようにしていても、時としては酔いすごすことがあるものだ。酒の席にあっては、とりわけ油断をせず、不測の事態がおきても対処できるように覚悟しておかねばならない。酒の席は公の場であるから、よくよく気をつけて失態のないようにせねばならない。




事にあたっては、胸中よりも微気をしばしば口に吐き出して、胸中に気をあつめずして、丹田に気をあつむべし。如レ此すれば気のぼらず、むねさわがずして身に力あり。貴人に対して物をいふにも、大事の変にのぞみいそがはしき時も如レ此すべし。

赤ん坊はコシがかたまって歩けるようになり、老人はコシが原因で歩けなくなる。正座もコシの支えがあって可能だと見る。さらに剣道も、舞踏も、コシがすわらなければ、モノにならず、邦楽の演奏を正座で行なうのも、コシに力が入って声が出るからであり、書道に正座の姿勢が求められるのも、コシに力が入って肩の力が筆に流れるからである。 -リズム

好調の力士は自分の型をもつとともに、つねにその型で「自分のすもう」をとることによって力を出すことができる。しかし、自分の型が保てなくなったり、新しい型を創りだすエネルギーがおとろえたとき、そのすもうは型にはまった、いや型にもはまらない、逆に相手の型にばかりはまらされた負けずもうになるだろう。型をおぼえて型を出る創造的エネルギーと、はじめから型をもたない型なしの浪費的エネルギーのちがいを見分ける必要があるだろう。 -リズム

私はこの休符のことを間ということにした。休みが長くなるのは、「間のび」し、反対に休みが短くなると「間がつまる」。休みを休まず音を打てば間が抜ける、つづめていえば「間抜け」なのである。せっかくの休みが音で埋まってしまうのは、べったりした感じ、ずどんとした感じ、つまった感じで、いかにも鈍重だ。ふつう「間が抜ける」というと、スポンと何か大切なものが抜けてしまった感じ、肝心なところにぽっかりと穴でもあいているような状態を思いうかべやすいが、ほんとうは、「マ」=「あいだ」が抜けてしまったのだから、字義どおりに言えば、べたっとした一本調子、野暮ったさ、歯切れの悪さと考えてよいだろう。 -リズム

Left: ISBN4-309-26758-0
フランソワ シモン

Right: ISBN4-10-415801-1
太田和彦

誰がどういった、こういったと理屈をこねるよりも、この困難な訓練の中に飛び込んでみると、それらのもののいったことの中に、一番ほんとうのことが、「ハァァ、これか」と初めてわかってくるのである。行動と実践が大切だというのはこのことである。この実践のはてで、コーチャーから「それだ、その調子」といわれた時、その行動の中にみなぎってくる、ほかにありやうもない一つの秩序、一つの安らかさ、ここに「いきがあう」という、何か身をまかせた愉快な、やわらいだ、こころよさ、その美感が、ほのぼのと生まれてくるのである。「美学入門」

修行という事は、天才に至る方法ではなくて、若い頃の天稟(てんびん)のものを、いつまでも持ち堪へる為にこそ、必要なのです。退歩しないというのは、これはよほどの努力です。ある程度の高さを、いつまでも変わらずに持ちつづけている芸術家はよほどの奴です。たいていの人は年齢と共に退歩する。としをとると自然に芸術が立派になって来る、なんていうのは嘘ですね。人一倍の修行をしなけれあ、どんな天才だって落ちてしまいます。いちど落ちたら、それっきりです。変わらないという事、その事だけでも、並たいていのものじゃないんだ。いわんや、芸の上の進歩とか、大飛躍とかというものは、ほとんど制作者自身には考えられぬくらいのおそろしいもので、それこそ天意を待つより他に仕方のないものだ。紙一重のわずかな進歩だって、どうして、どうして。自分では絶えず工夫して進んでいるつもりでも、はたからはまず、現状維持くらいにしか見えないものです。 - 太宰治

Youth is not a time of life; It is a state of mind ; it is not a matter of rose cheeks, red lips and supple knees; it is a matter of the will, a quality of imagination, a vigar of the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

In my experience,when all is said and done, success at golf boils down to four pretty straightforward factors. First I would place adherence to a few timeproven mechanical fundamentals and a resistance to the passing gimmick. Second, I think a vital - and ofen overlooked - success factor is how effectively a golfer can maximize his greatest natural physical assets in molding and maintaining a playing method. Third, I would select the ability while playing to define objictives and then to concentrate on achieving them to the exclusion of all else. Forth, and most important of all, there is the matter of desire. If you have enough of that it's amazing what you can do at golf, or in any other area of life, for that matter.

To hold and fill (a vessel) to the full , It had better not be done.
To temper and sharpen a sword, It's edge could not be kept long.
To fill the hall with gold and jade, These is no way to guard them.
To be rich, exalted, and proud, This is to invite blame upon oneself.
When work is done, The person retires, Such is the Tao of heaven.