蕎麦の話題 7



ゆきのゆうべいりやのあぜみち
雪 暮 夜 入 谷 畔 道

昭和五十八年六月一日発行
版元 山本重太郎
原画 長谷川貞信
解説 鈴木啓之
木版 五百旗頭欣一
摺師 中村直次
和紙 越前産生漉奉書
木版手摺 多色三十二度摺
版画寸法 横版、二十七糎*四十糎 

山本重太郎さんはそば浮世絵の収集家として有名でしたが、同時に新たに版もおこされました。そんな版木を見せていただいたことがあります。一枚の版画をつくるにも、何度も色を重ねて摺る必要があるため版木の数もかなりの数になります。

「増音」主人鈴木啓之さんが直侍を解説します。芝居とそばで、黙阿弥ならば「夜そばうり」南北な「風鈴そば」と江戸の芝居にはつきものであった。何かというとそば屋が出て来るが、「直侍」の「入谷村蕎麦屋の場」がなかでも有名な舞台である。、、、 略


直侍「ここらに知った者もねえから、そばを一杯食っていこうか。おお、好い塩梅に誰もいねえや」
仁八「へい、いらっしゃいませ」
直侍「天麩羅(そば)で一合つけてくれ」
仁八「誠に相すみませんが、天はやまになりました」
直侍「なけりゃあ、ただのかけでいい」

そばでもではない。そばをである。いかにも江戸っ子らしいうれしい表現で、そばを手繰り上げながら手際よく音たててすすり込む。見ていて咽喉の鳴るようなうまさを見せてくれる。そば好きにはたまらない。芝居がはねると近所のそば屋は満員になったという。


朝比奈三郎 蕎麦うちの図

昭和五十八年八月一日
版元 山本重太郎
原画 皇都散人全カ
木版 中村直次
摺師 中村直次
和紙 越前産生漉奉書
木版手摺 黒三度摺
版画寸法 横版、二十七糎*四十糎

朝比奈三郎の実話 解説 鈴木啓之

鎌倉幕府創設以来の重臣、侍所別当和田義盛は、相模三浦氏の一族であったが、北条義時の挑発に乗せられ、たび重なる侮辱に耐えず挙兵(和田合戦・建暦三年・1213年)し、幕府を襲ったが失敗する。朝比奈三郎の名は義秀、和田義秀、和田義盛の三男、安房国朝夷郡にいたので、朝比奈三郎と称して、生まれつき勇猛、力量人にすぐれていた。

従軍した三郎は今はすべなしと手勢をひきつれ、船にて江戸湾を横断し安房国へ潜入した。そのいくえはついにわからず、このとき三十八歳であった。
蕎麦うちの図には、かの無双の豪傑として鬼たちを手玉に服従させた三郎のことが戯画化されている。

北斎が描く朝比奈義秀

Asahina Yosihide:
great man in Kamakura Period.
famous for his marvelous strength.

「蕎麦食う腹は江戸ぞかし」-粋にたぐり込む
奥歯で噛んでもぐもぐという食べ方は粋ではありません。歌舞伎でも、田圃の蕎麦屋の場面で、片方にもぐもぐと蕎麦を食べる引き立て役を配し、そこで主役が背筋をのばしてたぐり込んで見せているのです。 -藤村和夫 日本そば新聞

 いけのはたなか丁いちかわ

文化十一年(1814年)「大坂繁花風土記」上巻年中行事の条に次のような記述があります。

正月十四日 十四日年越とて、節分になぞらへ祝ふ。この蕎麦切を食ふ人多し。
十二月三十日 晦日そばとて、皆々そば切をくふ。当月節分、年越蕎麦とて食す。


Memo:
大晦日は年末の晦日のこと、旧暦で大の月は三十日,小の月は二十九日が晦日になる。

幕末の頃の出前持ち 部分図 広重

信濃路の旅そばの味水の味

風みどり山家の里はそばどころ

出雲そばのれんの内の国訛り

ガラス越し見せる手打ちへ客が寄り

   -川柳歳時記(秋)

  柳 多 留 ( やなぎたる )

江戸時代につくられた川柳の句集に柳多留があります。今の川柳と区別して古川柳とよばれます。

川柳は俳句と違って、季語や切れ字の制約がありません。その分垣根は低くだれでもが入りやすい文芸といえます。そのためか柳多留にあるほとんどが一般庶民の作です。江戸時代の日常が、人情、滑稽、機知、風刺を交えて活き活きと表現されます。

句をながめていて思わず笑ってしまう。「まるで今と同じじゃないか、、、。」おそらく時代を超えて、誰でも感じることは同じです。

川柳の名前の由来は、柄井川柳の名からきています。1757年宝暦7年40才の時に前句点者として活躍しました。

前句付とは、七七の短句のあとに長句をつけるものです。例えば、「
切りたくもあり切りたくもなし」に「盗人を捕まえてみればわが子なり」といった具合です。

そんななか厳選した句集を出そうと思い立った人がいます。呉陵軒可有(堪忍してくださいの意)です。

彼の編集方針が
柳多留序文にあります。「一句にて句意のわかり安きを以て一帖になしぬ。なかんずく当世俳風の余情をむすべる秀吟等あればいもせ柳多溜を題す」。

文中にある秀吟とは当世流行の玉川風の俳諧のことです。それを昔ながらの前句付と結合させるてみたい。いわば両者の結婚というような意味がありました。結納や婚礼の際に必需品である「柳樽」にひっかけ、縁起よく
柳多留という字をあてました。


絵入り柳多留より

新蕎麦に 小判をくずす 一ト盛り
十三日 百より上の そば売れず  
正直の そばで息子を だまして居
そば屋の口上 御火消しと 存じ候
手打ち蕎麦 下女前垂れを借りられる
安そばや 初手から鴨へ 紙を張り
食いもせぬくせに蕎麦屋に 火を借りる
打つの縁 切るの縁にて 義士はそば

思い切るすがたの出来る雨やどり
二人目は女房の傘をかしてやり
晴天に持って通るはかりた傘
傘(からかさ)をしずくでかえす律儀者

花の山弁当までも幕の内 - 柳多留

幕の内といへば、一種の握飯のごとくに思ひたるが、元煮染の名なり。其幕の内といへるは、其近傍の堺町・ふきや町の芝居へ仕出したる弁当の幕間に食するにより出たる名なるが、其風味の善きを以て名高き店なり-江戸時代名物集