蕎麦の話題 2 




大阪の手打ち
手打ち:取引の約束が成立したしるしに揃って両掌を打ちならすこと

井原西鶴の「日本永代蔵」にあります。「北浜の米市は・・・互ひに面を見知りたる人には、千石・万石の米をも売買せしに、両人手打ちて後は、少しもこれに相違なかりき」昔の商取引は、今のような契約書などなく、その場で「ほなこの辺で、手〜打ちましょ」と話をまとめ、「本ぎまり」と手を打てば、取引が成立したことになります。
大阪締めです。

う(打)〜ちましょチョン、チョン
もひとつせえチョーン、チョン
い(祝)おうて三度
チョチョンガ、チョン
めでたいなチョン、チョン
本決まりチョン、チョン


安田 武著「日本の型」に窪田空穂さんの随想の紹介があります。「借家の持主は、地方出身の学生あがりの借家人と見ると、事細かく教えたものであった。「この家としては軽くて結構ですが、向こう三軒や両隣りへは、もり蕎麦三つずつ、家主には蒸籠を五ついただきますか。決まりですからね。「借家人が学生あがり」と見れば、家主自ら、「向こう三軒両隣り」への「きまり」を言い渡す、「蕎麦屋は何処と教えるというより命じるようにいったものだ。こうした「しきたり」は窪田自身「借家へ引っ越しをするたび毎にしてきたことで、身に覚えのあることである」と書き、「蕎麦の切手の代りにはがきを貰ったこともあったが、現在はどうなっていよう。貸し家というものがほとんど無くなったので、自然消滅してしまったろうか」とあります。戦前の東京にごくあたりまえにあった日常風景。引っ越しそばが隣人の距離を縮める。そんな蕎麦切手とはどんなものなのか。

左: そば切手 32.5×11?


天保年間1830年頃大阪市西区白髪橋近くの観音堂境内にあった
白髪そばが発行したそば切手

明治44年3月1日、帝国劇場開場式が行われた。芝居とそばとは縁の深いもので、むかしは大入そばは現物だったが、このころからは、「そば屋の切手」という便法が使われ、座員は随時都合のよい時に、そば屋にたのめばよいというように変わってきたが、これも段々と現金の方が都合がよいということになった。明治の中期では、大入袋に入れられたそば代は、三銭、五銭などというものであった。役者といえば、川柳に「せりふののびたのがそばになり」がある。舞台で立往生、罰として「とちりそば」のお灸をすえられ散財する役者のことである。
 ー蕎麦雅記8号-


切り口の鮮やかさが、同じものを新鮮にみせます。
ソバかいわれ
ではありません、ソバスプラウトsprout [spraut] v発芽する n発芽、芽 ソバの種もスプラウトの原料と考えればお洒落です。朝日新聞02/02/02夕刊にありました。タイトルは種をまいて新芽を食べよう。スーパーや百貨店の野菜売り場などでブロッコリーなどの野菜の新芽がよく売れています。「スプラウト」と呼ばれる食材で、ビタミンなどの栄養が豊富で、サラダなどによく用いられています。種と容器をセットにした家庭用キットが売り出され、台所で手軽に栽培できる食材として人気を集めています。スプラウトとは、野菜の名前ではなく、芽・新芽・発芽の総称。その人気が高いのは、完全に成長した野菜より発芽した状態の方が、豊富な栄養がある点に注目されているようです。ソバの種も売っています。1袋150円。夏なら3日くらいで収穫でき、おひたしにもあう。「酒のつまみにぴったり。そのまま食べるソバの芽は、実にさわやかでおいしい」。とありました。

友達は将棋のことで二日来ず
碁会所で見てばかりいるつよいやつ
めし食って大あせかくもげびたもの
あいそうに聞く三みせんのやかましさ
めずらしい内はきふりも皿へもり
ただも行かれぬがぶさたのなりはじめ
渡し守一さほ戻す知った人

そばにじかに汁をかける食べ方を「ぶっかけそば」といいます。かけそばはその略称です。さて、江戸中期、婦女子のたしなみとしての麺類の食べ方が「女重宝記」に記述されています。そばの食べ方がこの時期からかわってきたということと関係しているようです。ぶっかけの登場です。ぶっかけそばの元祖は江戸新材木町(現東京都中央区堀留1丁目)にあった「信濃屋」という小さなそば店。近辺から集まってくる荷物を運搬する人足のため、立ちながら食べられる冷やがけがはじまりとされています。その後、冬の寒い季節には、そばを温め、汁を熱くするように工夫され、方々で売り出され普及し、次第に江戸市民の人気を博することになりました。当初、ぶっかけは下賤な食べ方とされていました。絵入り教訓書「女重宝記」元禄五年(1692)が書かれた背景にはそんな事情がありました。「索麺くふ事、汁をおきながら、一はし二箸そうめんを椀よりすくひ入て、さて汁をとりあげくふべし。そののちは汁を手にもちすくひ入、くひてもくるしからず。汁をかへ候はば、はじめはいくたびも汁を下にをきすくひ入、とり上くふべし。からみ、くさみなど、かならず汁へ入れべからず」文中にあるからみとは(生姜、山葵、芥子)くさみとはねぎのこと。
 ー鈴木啓之 そば博物館


昭和30年代更科総本店でつかわれていた箸袋とマッチのデザイン
 裏面には八重洲店 新宿店 中野店とあります。

寝覚名物蕎麦、越前屋 一九作「木曽街道続膝栗毛」七編より

絵本御伽品鏡」という風俗草紙本に描かれた長谷川光信画の作品。享保(1735)頃の大阪のそばきり屋を描いています。おもてには「1ぜん八もん」としたそば・うどんの箱看板が出ています。灯りを入れられるよう行燈式になっっていて夜商いもいていたのでしょう。表構えを格子にして中で麺を打っている様子が見えるようにしています。今でも時折見かけます。奥の上り座敷には片あぐらで腰をかけ、盆にのせて麺を食っている客の下半身が見えます。ーそば瓦版25号

 
江戸は二八の蕎麦にも皿を用ひず、左図の如き外面朱ぬり内黒なり。横木二本ありて竹簀(たけす)をしき、其上にそばを盛る。是を盛りと云。
 ー「守貞曼謾稿」

 Ernest Hemingway の代表作



老人と海」
The Old Man and The Seaのモデルとされるキューバ人グレゴリオ・フェンテスさんが1月13日、主都ハバナ近郊の漁村コヒマルで死去した。104歳だった。1952年に出版された「老人と海」はフェンテスさんの経験を題材にしているといわれる。さて、ヘミングウェイの短編のなかに、ニック・アダムス物語と呼ばれる一連の作品群があります。ヘミングウェイの少年期から青年期にかけての人間形成の過程が描かれています。その内の一つに「心が二つある大きな川」があり、そのなかでそば粉のパンケーキつくる箇所がでてきます。「ニックは、とびはねるバッタがいっぱい入っている壜を松の幹に立てかけた。それから、手早くそば粉に水をまぜて、よくかきまわした。そば粉がコップ一杯に、コップ一杯の水だ。コーヒーをひと握りポットに入れ、缶から脂のかたまりをすくって熱くなったフライパンに落すと、じゅうじゅう音をたてた。煙の立っているフライパンに、練ったそば粉を、そっと流しこんだ。溶岩のようにひろがって、脂がさかんにはねかえった。そば粉のパンケーキは、まわりから固くなっていて、やがて茶色になり、ぱりぱりになった。表面がゆっくり泡立って、気孔ができていった。ニックは、褐色になった裏側に、松の切れ端を押し込んだ。フライパンを左右にゆすると、パンケーキの裏側がはがれた。つぶしてしまったら台なしだぞ、と思った。きれいな木の端を、パンケーキの下へ深くさしこんで、くるりと裏返しにした。パンケーキがフライパンのなかでぱとぱち音をたてた。」

見えますか。

一粒の麦ならぬソバの実

石臼からそばの花が。わざわざ種を播いたわけではありません。
去年この場所で御所で獲れたソバの天日干しをしました。その時のものでしょうか。
写真右 01.10.13 午後2時30分頃 :秋の日差しが石臼の上に鮮明な影をつくりました。

土三寒六常五杯の意味がわかる。
「土三寒六」という口伝があります。うどんづくりは季節によって塩水濃度を加減します。しかし、この地口そのままを実行すれば、夏は塩がすくなく、冬は多いということになります。畑野 峻さんの「永遠のソリスト」p91にありました。「うどんはそばと違って、こねる時、塩水を使うことと、塩加減を表す言葉として、讃岐地方には「土三寒六」という言葉があることは知っていた。暑い土用は三、寒い時は六ということであるが、これがどういうことかと聞かれると、もうひとつ解らない、、、。そこで近所の讃岐うどん屋の主人に聞いてみることにした。その店は讃岐出身の夫婦二人だけでやっている、、、。その主人によると、三とか六というのは、塩一に対する水の割合のことだということだった。予想していたよりはるかに塩の量が多いが、これで長年の謎は解けた。」

盛り付け方は釜前の技両にある。釜からあげてツラ水を掌で受け散らし、洗い桶でさらし、揚げ笊にうつす時のチョボ作りで水を切り、せいろに盛る時にはサラサラと雪の降り積るように、もつれもなく盛りつけてだした蕎麦は、箸を使う度にスルスルと啜り込むことができる ーそばの今昔より