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都築道夫さんの随筆「江戸の夕涼み」に次のような文章があります。

「戦前、池の端にあった蕎麦の蓮玉庵も、
いまは仲町通りにある。薮をとるか、蓮玉をとるか、それとも麻布の永坂更科をとるか、そば好きの意見のわかれるところ。更科といえば、久保田万太郎に春麻布永坂布屋太兵衛かなという、いかにも万太郎らしい一句がある」。

久保田万太郎:小説家、劇作家、東京浅草生まれ。大岡信さんの「百人百首」で久保田万太郎が解説されています。

万太郎は江戸っ子といわれている人々の哀惜する情緒を巧みにとらえる。
芥川龍之介は久保田万太郎について「江戸時代の影の落ちた下町の人々を直写」している点で万太郎ほどの作者はまれだと指摘している。

竹馬やいろはにほへとちりぢりに
竹馬に乗って遊んでいる少年時代の仲間が、みんなちりぢりになってしまうさびしさがよく出ている。

箸涼しなまぐさぬきのきうりもみ
「なまぐさ」は魚類。なまぐさがはいっていない夏の食べ物きゅうりもみを「箸 涼し」という感じはとてもよくわかる。
 一種頑固な下町の粋がある。 ー「百人百句」大岡信





  正直そば

文政の頃、江戸幕府が御府内風土記を編纂した時に、町名主、旧家から差し出させた「御府内備考」があり、正直そば勘左衛門の答申が収録されている。

私先祖之義、寛永年中、本所中之郷辺に住居致、浅草寺境内当時住居仕候所え、芦張にて戸板之上え黒椀にて、生そば盛り致渡世、其頃より直段下直に沢山有之候に付、其砌より正直と申触し、其後町屋に相成、右場所へ家作致、住居仕申候。代々長寿にて是迄七代相続仕候。寛保三年春より、あく抜きそば相始申候儀に御座候。  ー蕎麦 藤兵衛店 勘左衛門

やミくもにらんめんをやれバ正直そばの女郎もさりとバ深代を捨し仕方に、かけによらぬ、しなのっぺいとわらハれんもおかし。(天明一年「通人三国師」





  深大寺そば

「江戸名所図會」の出来た文化文政時代の深大寺のそばは名目だけで、寺の裏門の前の畑で作ったものを供したというようなもので、実際には深大でそばが栽取製品化されたわけではないようだ。

都下に称して佳品とす。然れども真とするもの甚だ少し。今近隣の村里より産するもの、 おしなべて濃此名を冠らしむるといえども佳ならず」(同書、巻三)

麺棒さして寺の夜廻り

夜廻りに所化めんぼうをついて出る

棒の手を馳走に見せる深大寺

深大寺棒の上手を客に見せ

深大寺直に打つのが馳走なり





   福山のそば

福山は堺町にあり、中村座、市村座が近くにあったということで次の川柳が成立します。

福山ハどっちひいきもならぬなり

福山へぶたれたような人だかり


観劇帰りの客で賑わったことが想像されます。さて、芝居に関連したそばがあります。
とちりそば:役者が舞台で台詞を間違えたり、忘れたり、総て縮尻った場合には、其罰として楽屋中へ蕎麦の振舞をする事が芝居道の慣行法であったと解説にあります。

間のわるい役者そばやの一だんな

台詞のつなぎのびたのが蕎麦になり

さて、このとちりそばは楽屋全員に出したのでしょうか。蜀 山人の「そばの記」(玉川砂利)に「福山の蕎麦は三階に上る」とあり、また三階のそばハ舞台の言葉質ともあり、三階の人だけにとちりそばを配ったということになります。

「三階ハたてものより、其ほどほどそなはり行儀よく」「三家栄種下巻」にある通り、頭立った役者の楽屋になっていたようです。「川柳江戸名物図絵」で解説されています。



日本にはミゾソバ、タニソバ、ツルソバなどとソバという名のつく植物がある。葉や種子の形がソバに似ているのでそういう名前がつけられただけで、これらの植物はソバと近縁ではない。ソバもこれらの植物も蓼の仲間で植物分類学上タデ科に属するが、ソバはソバ属としてタデ科の他の属から区別されている。では一体ソバ属植物はどういう特徴をもっているのかというと、非常に難しい問題である。簡単に言うと、ソバ属の植物は種子の形態によりソバ属以外のタデ科植物と区別できる。二枚の子葉(芽がでてきたときの双芽)が種子の中で合わさった形でとぐろを巻き、しかも胚軸(双芽を支える茎となる部位)が種子の中で種皮のどの面とも接していないという特徴がある。

古くから知られていたソバ属植物はソバ(Fagopyrum esculentum Moench),ダッタンバ(F.tataricum Gaertn)、シャクチリソバ(F. cymosum Neish) の三種だけであった。このうちソバとダッタンソバは栽培植物であり、今から三千年以上前から栽培され利用されてきた。シャクチリソバも古くから漢方薬として利用されてきたが野生植物である。畑に植えられることがあってもシャクチリソバは栽培植物ではない。

ソバというのは日本での名前であり和名と呼ばれる。国際的にどの国の人でも理解できるようにとつけられた名前が括弧内に示した学名である。ソバではソバ属を表すFagopyrum(ファゴピルム)と種小名と呼ばれる種を特徴づける名前esculentum(エスクレンタム)とからなり、最後に命名者の名前Moenchを付ける。ローマ字で書かれているが英語でなくラテン語である。また属名、種小名はイタリック(傾字体)で記すのが国際ルールである。Fagopyrumは樹木のブナを意味するFagusと穀物を意味するpyrosがくっついた語でブナのような四面体の種子をもった穀物という意味。esculentumは食べられるという意味である。

  麺`アカデミー第31回より 京都大学名誉教授 大西近江


石田散薬
新撰組副長であった土方歳三の生家が製造販売していた薬
原料は多摩の支流である浅川の川原に野生するミゾソバ、土用の一日に収穫したものでなければ効力が乏しいといわれた。和名のミゾソバ(溝蕎麦、学名Polygonum thunbergii)はタデ科タデ属(Polygonum)に分類される一年草草本である。

土方歳三の生誕地は東京都日野市、浅川の流れに近い石田。

司馬遼太郎が江戸時代のままの村落のかたちを残したそのあたりを訪ねまわり、村の入り口でオートバイの出し入れをしている若者に「土方さんの家はどこですか」と聞いたところ、「私も土方ですが」という答がもどってきて、よく聞いてみると、村全体が土方だと知り、あらためて「土方歳三さんの家です」と言ったところ、「あお大尽の家ですか」と返事をされたという…。
司馬遼太郎は土方家の当主(歳三の
実兄の曾孫)に歳三の名前の呼び方を尋ねた。サイゾウが正しいのかそれともトシゾウと呼ぶべきかを聞いたのである。すると「この辺じゃ、トシサンと呼んでいました」という答えだったという。そういわれたとき彼は急に”トシサン”が近くの村を歩いているような思いにとらわれたらしい…。

「燃えよ剣」司馬遼太郎

「チベット旅行記」

河口慧海(かわぐち えかい):1866(慶応2)1月大阪府堺生まれ。仏教学者、探検家。
チベット語の仏教原典入手のため、明治30年6月日本を出発、同33年に日本人として最初にチベットに入国した。

現在、白水Uブックスから慧海の西蔵旅行記の抄としてチベット旅行記「上」「下」が刊行されている。西蔵旅行は「Three years in Tibet」と題してインドで出版され、ヨーロッパでも読まれた。(スヴェン ヘディンも読んで感想を記している)





天空の景色が広がるチベット、今でこそ行こうと思えば、観光でラサのポタラ宮にでも行けるが、当時のチベットは外国人の入国が禁止されていた。現にスヴェン ヘディンは何度もラサ近くまで行くが入国を拒まれついに断念している。
そのことは「チベット旅行記」の文中にもあり、「現にヘディンという人も、私がラサにいる時分に何べんかチベットの地の北の境を侵してはいって来かかったが、いつも止められて、しまいにとうとう帰ってしまったのである」。 -p121 

河口慧海のチベットへの入国経路は、インドから入りいったん北上し、大回りしながら東へ向かうという長大なコースである。「チベット旅行記」はラサに到着するまでの艱難辛苦がハイライトになるが、その道中にソバ
の描写がある。
備考:
ポタラ宮のポタラは、観音の浄土であるPotalaka山(補陀落山)がモデル

青海チベット鉄道は2005年10月15日に青海省の省都、西寧(シーニン)からチベットのラサまでの1956kmが開通した。ペルー中央鉄道のティクリオ峠(海抜4783m)を抜いて世界最高所の鉄道通過地点5072mの記録も塗り替えられた。因に現在の世界最高所駅は唐古拉駅(海抜5068m)



ソバ

私はこんな山家に1年ばかり住んでいたので真に愉快だった。そこで毎日の学問はどれほど勉強しても少しもからだにこたえるようなことはなかった。空気は希薄だが、非常に清浄な空気で、そのうえにごく成分に富んでいる麦焦がし粉を日に一度ずつどっさり食べている。もっとも動物性の食物はただバターばかりだが、ソバのできるころには、この新芽を酸乳でまぶしたちょうどシラアヒのような御馳走もあるのでからだはしごく健全であった。陰暦の八月ころは、ソバの花盛りで非常にきれいである。私はそのころ仏間に閉じこもって夕方までお経を読んで、少し疲れてきたかと思うと、さっと吹いて来る風の香りが非常にこうばしい。何かなと思って窓をあけてみると、雪山から吹き下ろす風が、静かにソバの花の上に波を打ちつつ渡って来る風であった。そのときに次の一首を歌った。
あやしさにかほる風上眺むれば花の波立つ雪の山里  -p75

ラマと参拝者

上がり物はお金を持って来る者もあるが、物品をあげる者が多い。めいめい持って来たものをあげてそれからお説教を聞いてマニを授かるのである。と言うのはまずラマが「オンマニパドメフム」という六字を唱えると参拝者がそれに継いで唱和する。それからまた種々の教えを受ける前に会うと、すぐに三礼する。それから例のとおり腰をかがめ、舌を出して敬意を表しつつ机の置いてある前まで進んで、ラマの前に頭をさしかける。するとラマは右手をのばして、頭をさすってくれる。少し良い人なら両手でやってくれる。また自分と同等の人、あるいは自分より偉い人であれば、自分の額をこちらの頭につける -p114
Om Mani Padme Hum Mantra of Avalokiteshvara

観音菩薩は仏教の菩薩の一つであり観自在菩薩。観自在はサンスクリット語でアヴァロキテシュバラという。Avalokiteshvaraは(アヴァローキタ Avalokita 観る) と(イーシュバラ Izhvara 自在)の合成語で「観察する自在なる者」の意味になる。

Om Mani Padme Hum ーチベット人が日常的に唱える観音の真言で意味は蓮華の中の宝珠よとなる。

 


Om Mani Padme Hum